住所 | 〒522-0232 滋賀県彦根市蓮台寺町50-44 (駐車場3台有り) |
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営業時間 | 火・水・木 9:00~18:00 金・土・日 9:00~20:00 |
定休日 | 毎週月曜日 / 第2火曜日 / 第1・2・3・5日曜日 |
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1986年3人兄弟の末っ子として森澤は産まれました。小さい頃は母親に髪を切ってもらってました。外で自転車に座って、薬局で売ってそうな子供用のケープをつけて(笑)ファッションにも小さい頃は興味はなくて、それでも好きだったのはお絵かき教室へいくこと。小学生へ上がると同時に引っ越ししたので辞めちゃったけど、あの時の絵具の臭いを今でも覚えてます。小学校では成績は3段階でほぼ2。その中でも得意だった美術工作だけは3だったのがちょっとした自慢な子でした…(2話へ続く)
時は進み、森澤は中学生に。そのとき、いつものように散髪屋さんへ髪を切りに行った際に、してもらいたい髪形の写真を持参していきました。そんなことは初めてしたのでワクワクドキドキでした。30分後 仕上がった髪形は子供の僕からしても写真とは全く違いました・・・。もみあげをテクノカットのようにスパっとされたのがとってもショックでした・・・。しかし、そのことがあって森澤は初めて美容室へ髪を切りに行くことになるのです。ちょうど彦根のベルロードにRED COOLというサロンがOPENするチラシをみて、勇気を出して、予約の電話をしたのです。緊張の当日、髪の長いおしゃれな女性美容師Hさんが担当して切ってくれました。その時の今までと違う仕上がりに大喜びでした。しかし、森澤はまだ知りませんでした。この担当してくれたHさんとこの先ながーい
お付き合いになるということを・・・。(第3話へつづく)
前回からの続き・・・高校生になった森澤は翔陽高校へ。髪を切ってくれてるH美容師さんの影響で美容師を志すようになりました。高校生の僕を連れて大阪までヘアショーを見せてくれたこともありましたね~もう進路は決まっていたので悩むことなく大阪の美容専門学校へ!おそらく高校1年生で専門学校の1日体験入学へ行ったのは僕ぐらいだったかもしれません(笑)当時人気の専門学校で一般入試でなんと6倍の倍率だったそうで、合格通知の知らせを大興奮で喜んでいました。
(前回からの続き)大阪の美容専門学校に入学した森澤。
滋賀の田舎者だった森澤は都会の影響でどんどんあか抜けていく笑 勉強よりも遊んだ思い出のほうが多い(汗)が、彦根から大阪まで通学してたのです!!片道2時間15分かけてました、もちろん一人暮らしがしたかったですが、親は許してくれませんでした(そりゃそうだ笑)確か朝7時の電車に乗っていたような・・・。成績は中の中。ひいき目にみてもまじめな優秀な生徒ではなかったですね~。2年になって就職活動をするようになり、行きたい美容室に落ちて落ち込んでいた時、彦根で僕の髪を切ってくれてたH美容師さんが当時、大阪で働いておられた。恥をしのんでH美容師さんにお願いして、一緒のお店で働かせてもらえるようになったのです!!ここから森澤の修業時代がはじまるのです
(前回からの続き)ついに大阪で森澤の就職が決まり、修業時代が幕あけ!森澤は人一倍どんくさく笑 はじめの1年は怒られにいってるようなものでした(もちろん愛の指導やったと思ってます)その時はまだまだ美容師の楽しさなんて感じられなかったですね~
慣れないサロンワークに夜はレッスン。電話対応の練習だけで1か月かかってましたね汗そして、今でも忘れないのは初のお給料は手取りで128,000円でしたね。いやー、家賃やら食費払ってたら残らないんですよ笑 親にお金を借りたのも1度や2度ではなかったですね~ そんな生活してたら体重が53kgになってした(森澤の身長は176cm)そしてお店に就職して3年ほどでスタイリストになれました。初めてのお客さんはロングのお客さんで頭まっしろになりながら切ってましたね~(遠い目)しかし、そこから半年ほどで大きな転機が訪れるのです!!まさか美容師をいったん辞めることになるとは・・
(前回からの続き) 就職してから3年、苦労してスタイリストになったのも束の間、半年で美容師を辞めることに!!というのも森澤、実は当時美容師の他にしてみたいお仕事がありました。なんとそれはテレビ制作会社で番組制作に関わりたかったのです!まーーったく美容関係ない(笑)そしてこの頃、制作会社で働く人と知り合えて、紹介しよか?って話になり、「運命かもしれん!!」と思い、店長に相談し、お店を辞めさせてもらうことに。(あたたかく見送ってくれたスタッフに感謝)
よーし!!ここからがんばるぞぉー!って思っていたのですが、なんとその紹介してくれる人と連絡がつかなくなり、音信不通に💦結局、紹介の話は無くなり、自分で就職活動も上手くいかず、6か月間、宙にういたような期間となりました。そんな日々を過ごすうちに「やっぱり美容師をやりなおしたい」と思うようになりました。
そしておそるおそる震える手で電話をかけるのです。そう、元居た店の店長に・・・。
(前回からの続き) そう。森澤は一度辞めたお店に出戻りを果たすのです。しかもたった半年で・・。震える手で店長に電話した時、「いいよ、戻っておいで」と言ってくれた店長には今も関係が続いていて、頭があがりません!! ただもちろん快く思わないスタッフもいます(当たり前です) 何人ものスタッフに頭を下げたのをよぉ~く覚えてますね~(遠い目) そこから心を入れ替えて、ゼロからのスタートでお仕事をさせてもらいました。 時にはヘアーショウにでたり、コンテストにでたり、町へモデルさんを探しに行ったり(ナンパと間違えられる)、毎日、練習で終電で帰るような日々でした。数年がたち、いつか自分の店がもてたらなと漠然と考えるようになっていきました。しかし、お世辞にもお給料はよくはない美容師さん。20代後半にさしかかっても、当時の貯金なんて20万も無かったと思います(涙)そこで、思い切った決断を下します!!なんと滋賀の実家から大阪のお店を通おう!!(次号に続く)
(前回からの続き) 出戻りを果たした森澤。5年そこからガムシャラに働き、自分のお店を持ちたいと思うように。しかし、貯金のない森澤は滋賀―大阪間を電車で通う決断を!(やばいやつ) 朝7時の電車にのり、9時15分にお店につき、10時にOPEN 夜は10時台の電車に乗れば、なんとか彦根に帰ってこれる!!交通費をMAXまで請求させてくれた会社に感謝!(嫌な目ではみられます笑)後輩のレッスンを夜に見にくくなり迷惑もかけつつ、せっせと毎月10万円貯金しました!この時のお給料は手取りで20万くらい。もう遊びもほぼ断ってた気がします・・・。そんな生活を1年ほどつづけ、8年お世話になったお店を辞めさせて頂き、自分のお店を持つために滋賀へ帰ることにしました。実は今現在そのお店はもう閉店しています。(僕が辞めて5年後くらいに)美容師として必要なほぼすべてを経験させてくれたあのお店には本当に感謝しています。さて次からは滋賀編です!お店作りも波乱万丈おたのしみに!!
(前回からの続き)さて8年の大阪時代が終わり、地元の彦根に帰ってきた森澤。ただもう少しお金を貯めないといけなかったので、長浜の美容室で1年半お世話になっておりました。お店の場所は有難いことに両親がもっていた土地があり、そこに建てることにしておりました(もう本当にありがとう)そして、いよいよお店を建てるぞぉ~といろんな業者さんと打ち合わせが始まり、そしてついにお店の工事が始まったのです!お金を借りる銀行さんとも綿密な打ち合わせがあり、融資も受けれる話で順調だったのです!・・・・が!!なんとびっくり!!もうお店が完成間近になった時です。銀行の担当の方から急に「やはりご融資はむずかしいです」との連絡が!「はぁ??」とびっくりな森澤。これには両親もぶち切れ!融資担当の人が本部への根回し(?)を怠ったとか・・・。「いやいやいや、知らん知らん!」 なんとここで母親が立ち上がることでこの大ピンチを切り抜けるのです!!こうご期待!
(前回からの続き) なんとお店完成の直前で金融機関からの借り入れを断られる森澤。1000万円を借りたいなら1000万円の預貯金を用意してほしいと言われる始末(金額は仮)そんなもんあったらお金借りないわい!!!そこで立ち上がったのがうちの母親。なんと母親はその金融機関の元支店長と同級生らしい!!その人に話をしに行ってくれたんですね~。するとその元支店長の方が現支店長に「初めの条件通りで貸したり~な~」的なことを言ってくれたことで、なんとか元々の条件で貸してもらえることになったんです!!!(危ねーーー!!)なんとかギリギリ工務店への支払いに間に合い、お店を手にすることができました。ここで森森の美容室がとりあえずは完成しました。
しかし、森澤はお客さん0人からの独立だったので、できることはここから何でもやりました。(大阪で働いてましたし、長浜のお店は指名制度ではなかった為)まずは手作りチラシを配ろうと5000枚歩いて配ったり(両親も手伝ってくれました)住んでる団地の方にお店ができた挨拶周りに行ったり、20人限定なんでも無料サロンモニターしたり、お店ができるまでの様子をブログにしたりとオープンまでの一か月を過ごしていました~!(実は森澤この時、失恋の真っ只中でした笑)
そんなこんなで2015年12月1日に森森の美容室はたくさんのお客さんに支えられOPENすることが出来ました。これから何年たっても
初心忘れずに80歳でも現役で美容師していたいと思います。最後まで読んで頂き、誠にありがとうございます!またお店でお会いましょう!